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府立三中(都立両国高校)奉職のきっかけ
吉丸一昌は明治34年(1901年)7月に東京帝国大学を卒業。翌年、明治35年4月、府立三中に国語の教師として就職。
当時、府立三中は開校して2年目だった。現在の都立両国高校同窓会、淡交会が出した「吉丸一昌~日露戦争と府立三中~」岡田孝一氏の著書による奉職のきっかけが第一章に書かれている。これは吉丸の回想によるものである。
「三十六年の三月の頃忘れもせぬ雨のしょぼ降る日であった。筆を買はうとして森川町の自分の家を出て、坂を上がって中途に行った頃、恩師狩野博士が蝙蝠傘をさして来られるから、何処へお出でになるかと伺ったら、君の処に行く積もりであったが丁度可い、実はこの度第三中学に空きがある。国語と撃剣を教えねばならぬ、何だと言われる。その時、自分は或る私立学校に出て居たが、或る事情で停めて居た時で、渡りに舟、直ぐお受けをした。」以外に簡単なきぅかけで府立三中に奉職している。その後、この学校に教師として7年間を過ごしている。よほど居心地
が良かったのだろうか。

写真、府立三中時代 下段、右から5番目が吉丸。
DSCF1472.jpg
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【2010/04/02 23:35】 | 都立両国高校(府立三中) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
吉丸一昌が同行した満州修学旅行
吉丸一昌が東京帝国大学を卒業した後、縁あって明治35年から明治42年まで、府立三中の国語と漢文の先生として赴任していた。明治41年に発行された「満州修学旅行記」(編集・吉丸一昌/発行・学友会)という旅行記が当時の東京都(府)に提出され、東京都公文書館に保管されている。
先日、顕彰コンサートの構成者・井上さんと錦糸町にある都立両国校区の同窓会編纂室で、「満州修学旅行記」の複製版を閲覧した。
満州修学旅行表紙
表紙には当時の検閲した思われる部署の印鑑が押されてある。
修学旅行<br />1P
この報告書の全文は吉丸一昌が書いている。
修学旅行
珍しい修学旅行の記念写真。吉丸は前から2列、右から7人目。
この満州修学旅行は、明治39年の夏、日露戦争の戦跡を見学に行く企画が全国の中学、師範学校の間にあった。その時、三中(両国高校)からも20名の参加があった。
【2009/02/05 22:07】 | 都立両国高校(府立三中) | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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