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五高時代の一昌
吉丸一昌が通っていた第五高等学校時代の逸話がある。一昌は学業と共に剣道に励んだ。旧臼杵藩主の稲葉家から奨学金を支給されていた。貧しい下級武士の家だったために奨学金は吉丸家にとっても有り難いものである。
吉丸一昌の研究家の吉田稔氏の著作「望郷の歌」に五高時代のエピソードが書かれている。『あるとき宮様が、五高を訪問された。学生は校門から玄関まで道の両側に整列してお待ちした。体育の先生が一番前列に居る彼に気づいて「吉丸は後列に下がれ」と命令した。その頃の学生は幣衣破帽を得意としていたが一昌の服装はその点群を抜いていた。一昌には服や帽子を買い替える金がなかったのである。
運動会でに得意でもない5000M競争に出た。皆不思議に思って観ていたがやはりビリだった。一等の商品が学生服であったので皆はなるほどと思った。』

下の写真は東京帝国大学時代のもの。右側の羽織袴を着て、風呂敷に書籍を包んでいる。右手にコーモリ傘か。
帝国大学の学生は「末は博士か大臣か」と言われた時代だ。
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【2010/03/30 22:44】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
熊本第五高等学校
 臼杵市から熊本へ、私たちは吉丸一昌の青春時代の足跡を訪ねる旅の続きを書いてみる。
あいにくの雨模様に少々うんざりしながら竹田市から熊本へ向かった。途中、阿蘇の草千里を通過した。普通の路線からの寄り道であるが、滅多に来る機会がないからという息子夫婦のリクエストだ。霧が濃く立ちこめていてほとんど何も見えない。息子夫婦たちと熊本空港で別れて市内に入る。

翌日は、また雨である。2泊三日のスケジュールであれば雨でも強行軍。先ずは、熊本城を観る。前日のホテルから熊本城の天守閣がライトアップされて雨の中に浮かんでいた。
市内には珍しい路面電車が走っていた。
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 熊本城と言えば加藤清正といわれるくらい有名なお城である。ネットで調べると意外な事が分かるものだ。
「隈本」を「熊本」に改めた事は知らなかった。次の変遷をwikipediaから引用する。
『加藤清正は、1591年(天正19年)から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめる。1600年(慶長5年)頃には天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で清正は肥後一国52万石の領主となる。1606年(慶長11年)には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。1610年(慶長15年)から、通路によって南北に分断されていた本丸に通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われた。』 西南の役には天守閣等が焼失し、現在のようになったのは昭和初期から順々に復元されていった。
吉丸一昌が第五高等学校に入学した当時は多分天守閣も焼失したままだったろう。私たちは、昼食を市内のラーメン店に入る。東京では熊本ラーメンという名前は余り見かけない。ラーメンブームは以外や東京だけなのかも。
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午後も相変わらずの雨模様、しかも寒い。第五高等学校には何が何でも観なくては熊本に来た意味がない。100年以上も前、吉丸一昌がこの第五高等学校にどんな志で入学したのだろうか。そして、どんな青春時代を過ごしたのだろうか。
レンガ造りの校舎が記念館として残っている。
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校舎には黒光りする廊下、教室は当時を再現し、白墨で書かれた字が黒板に遺されていた。
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窓越しに樫の大木がどっしりと根をおろしていた。この窓から吉丸一昌も樫の木を観ながら青春時代を過ごしたのかと想うと無性に私は目頭が熱くなった。
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幾多の著名人を拝した名門の旧制第五高等学校。あの文豪・夏目漱石から英語の教師として教えを受け、生涯恩師として慕った湯原元一教授。後に湯原は東京音楽学校の校長として赴任。湯原は赴任後、すぐに吉丸一昌を教授として迎えてくれた。第五高等学校での出会いが後の進路を決定付けることになるのである。
【2010/03/28 21:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
平和祈年フォーラムに行く
平成21年度の「平和祈年フォーラム」が新宿の安田生命ホールで開催された。このイベントは昨年8月の「戦場体験放映保存の会」の終戦記念特別上映会に訪れた平和祈年事業特別基金のスタッフから我が社に協力を依頼された。
今日開催した「平和祈年フォーラム」の目玉には、全国の高校に公募をして「高校生が伝える,戦争体験の労苦」というテーマでビデオ製作をしてもらい,今日、そのコンクールの成果が発表された。この審査を我が社の長尾栄治監督が担当した。
審査結果を発表する長尾栄治監督
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ビデオコンクールには全国30校の学校が応募してきた。正直まず驚いたのが企画力とその問題を徹底的に追及する意欲である。我々プロ作家たちは何をやってるか!と一撃を食らった感じがした。最優秀高校は岡山の山陽女子高校、優秀高校は鹿児島県の鹿児島鶴翔高校と帯広緑陽高校の三校、三作品が選ばれた。しかも二度ビックリしたのが、いずれも女の子たちが先頭を切っていたことだ。古い言い方をすれば、戦時中は「女、子供は銃後の守りをせよ」と。
しかし、今流行る言葉に、「歴女」(意味が違うが)という言葉ががうなずけられる。
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最後は長尾監督が作品の講評をした。司会は生島ひろし。
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【2010/03/15 22:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
早春賦のCD
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紅梅の花びらが地面いっぱいに散っていた。梅の花前線が今,水戸まで来ているとか。
今朝、我が家の近くを散歩するコースで観た。朝の柔らかな光が苔むした幹に射していた。甘い梅の香りがほのかに漂っている。何とも平和な風景である。

さて、菩提寺の龍光寺に出来る歌碑からは三種類の「早春賦」が流れる趣向になっている。CDプレーヤーをお持ちの方がCDを聞くときと同じだと思ってもらえば良い。
童謡唱歌の重鎮である眞理ヨシコさんが独唱する「早春賦」と女声三人によるアンサンブル、三種類目が曲だけである。チェロとピアノによる演奏、なかなかの出来ばえである。
今回販売するCDはこの歌碑から流れるものと同じモノである.。
【2010/02/21 19:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ゲネプロが行なわれる
あと1週間で顕彰コンサートが開催される。昨日、本番会場の龍光寺でゲネプロが行なわれた。
お寺自慢の桜も、この最近の寒さで開花が遅れてしまった。

桜開花遅れる

開花せず
午後1時から児童合唱の11人とお母さん(通称母’s)の皆さん、ワンダーQと眞理ヨシコさん等が一同に介して本堂でゲネプロ(通し稽古)。完全に仕上がった児童たちの朗読と歌は大人たちも顔負けだ。第一回から出演する児童も何人かいる。4年の間に顔つきも児童から少し大人びたりして、成長が嬉しいものだ。

児童合唱勢揃い

混声合唱の響きはなかなか良いものである。アカペラで歌う「故郷を離るる歌」は、聞いてても胸に故郷を想う吉丸一昌の詩が美しい。籾山先生のアクション付き指揮には作者の想いが伝わって来る。
練習風景

進行通りにゲネプロが順調に終わる事が出来た。後は、1週間後の本番が楽しみである。
【2009/03/30 23:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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